メンタル母の育児と人生論
子離れ親離れ

JUGEMテーマ:思春期・反抗期


もうすぐ私はひとりになるのであろう。
私は今、泣いている。
その時を思って、泣いている。

もう何年も前の話だが、私が子供達を産んで数年後、父親と再会した時の事。
父は私を子供扱いした。その子供扱いは、例えば喫茶店で私はアイスコーヒーが飲みたいのにチョコレートパフェが食べたいのだろうと勝手に思われたり、昔によく行った大きなプール、アイススケート場、今も連れて行ってあげたいがなにせ身体が言う事をきかない、ごめんな、みたいに。
確かに最後に会ったのは私が中学生の頃だったから父の中ではそこで私の成長が止まっているのか。
昔に結核を患い、異常に酸素を吸い込めない肺と末期ガンでその治療の為に使用した造影剤の所為で腎臓もやられ尿が上手く排泄出来ずに浮腫んだ手足。毎日5時間の透析生活、とてもじゃないけどプールどころじゃない、近所の喫茶店だってやっとの思いだろうから私は甘くて食べ難いパフェを、水で流し込みながら食べた。
父は気づいていない。私が歳をとった事を。
その素直に嬉々とした顔を裏切れないという私の思いを。
でもだから私は父の願いを演じた。

父は…色々複雑だけど親らしい事をしていない人だったから、私は事あるごとに責めた。だからいつも「ごめん」「悪かった」が口癖だった。酒を呑めば虎となり、酔いが冷めれば猫となる。記憶があるのかないのか母との別れも泥沼で両親揃ってアル中だから酒を取り合い離婚した。
いつもいつでも「ごめんごめん」と言い続け、死ぬ最後の言葉も「ごめん」だった。謝るくらいならしなきゃいいのに、と思うのは浅はかでしょうか。

親らしい事をしていないと思う理由は、小学校の6年間が父子家庭だった事にある。
毎月の給食費を払わず、私はいつも汚い格好をし、イジメにあっていた事も知らずに、家に帰れば夕食なんてないし、よく電気を停められ寒い中、お婆ちゃんのお骨の横にある蝋燭をコタツの上に何本も立てて、呑んだくれてる父の帰宅をひたすら手足を擦りながら布団に丸まり待った。
それが普通だと思ってた。だけど私が欲しい物はなんでも買ってくれるし食べたい物は食べさせてくれるし、とても甘やかされて育ったのはいっときの喜びで、本当に欲しかったモノはそんな事じゃなかった事に気づいたのは自分が親になってからだ。
でもそれらの経験は私の育児にとても役立っているし、私から見ても子供達は考え方や諸々、至って普通の子供だと思う。本人達に確認した訳でもないから本当の所はわからないけれど。

私は我が子に同じ様な思いをさせたくない。よって年相応に成長し大人になってゆけばいいと思っている。けれど…いつからかもう少しゆっくりと、もっとゆっくり成長を願う様になった。自分の時間欲しさに早く大きくならないかなぁ、なんて思っていたのにね。
またしても自分勝手な戯言だ。
だから叶わない願いに地団駄を踏み、その狭間で人知れず泣いている。欲しい物はなんでも手に入れて育った私の我が儘だ。
子供は究極、環境さえ整えてあげれば後は勝手に育ってく。
勿論その時間の中でして良い事と悪い事などを大人になる練習中の彼らへ叱咤し激励し、共に過ごすのだけど、それもどうやら終盤のようだ。
後はどうやって上手く羽ばたかせて行くのか離れるのか。
子供達が小学校低学年の時にうちに来た犬と猫も共にもう八歳だよ。
きっと子供達が羽ばたくのを一緒に見届けるだろうけど、その犬と猫を看取るのは私ひとりかも。
人間は様々な事に一喜一憂しているけど、この世に産まれ落ちた瞬間から子孫を残す為に生きるのだと最近しみじみ思う。
子供を身篭る前と産み落とした後では肉体の老いだって違うし、俗に言う花の命は短くて、だ。ま、今は美容の世界も技術が昔とは違うから女を捨てさえしなければなんとかミテクレの体裁は整うけれど、やっぱり目に見えないモノは確実に老いてる。
私は勝手に双子を出産した勲章と言っているがおへその上まで出来た妊娠線及びたるんでしまったお腹は自力でボディメイキング出来る範疇を超えてるし、それをいちいち説明してまでビキニを着たいとは思わないし。もっとビキニを着ておくんだったと思う他ない。でも過去に戻ってその事柄を当時の私に説明してあげたところで理解できる脳ミソも持ち合わせてないし、よく昔に戻りたいなんて言う人もいるけれど、私はどの時代にも戻りたくない。またあの地獄の様な日々をやり直すなんて、考えただけでおぞましい。
人生はツーリング?いや、私はジェットコースターだ。

私は泣いている。全ての事柄に。 でもさめざめと泣いているのではなく、その涙は不思議と温かい。

"育児"⇄"育自" comments(0) -
| 1/7 | >>